南トスカーナの田舎を巡る-3
アグリでの1泊目の夜が明ける。6時にセットした携帯の目覚ましを待たずに4時半に目が覚めてしまった。
暖房の無い部屋でも寝ていて寒さを感じなかった。何故だろうとレンガ造りの床に触ってみると生暖かい。一度温まった石造りの家はなかなか冷めないようだ。
外に出てみると東の空が赤く染まっている。少し雲はあるが、一日中オルチャ渓谷を巡る予定の今日が晴れてくれたのは有り難い。
(早朝のアグリ前の風景)
朝食までの時間をアグリから出たり入ったりしてキアナ渓谷の朝を眺めていた。刻々と空や渓谷(直訳すると渓谷だが日本で言う盆地が正確だろう)に立ち込めた霧の色が変わり、そして目の前に広がるブドウ畑や樺の黄葉が輝き出した。美しい朝の光景だ。
(刻々と色を変えるキアナの谷)
7時半、ルチアさんが朝食を運んできてくれた。パンとバターにいろいろな自家製のジャム、生ハム、チーズ、ジュースに果物、手作りのケーキ。そして目の前で煎れてくれたコーヒーにミルク。とても日本人の二人には食べきれない量だ。それでも美味しくて結構食べてしまったが、流石に30センチもあるケーキは1/4食べて残した。
8時半になると、ともこさんとマッシモさんが迎えに来た。
まずはモンテプルチャーノ郊外の景色の開けたブドウ畑の丘を巡る。道は殆んどが砂利道である。日本のように農道まで舗装されてはいない。舗装されているのは国道や幹線道路だけで、村と村を結ぶ道路は砂利道だ。
ワインの名産地だけあってブドウ畑が広大に拡がり、朝日を浴びて黄葉や紅葉が輝き、日本とはまた違った秋の農村風景を見せていた。
(朝のブドウ畑)
ブドウ畑が途切れ途切れになると右手遠方にピエンツァの街を望む広大な裸の耕地が拡がってきた。種蒔を控えて均された耕地が延々と広がる。その中に空に向かって伸びるように道路が走り、糸杉の並木が続く。絵葉書のような風景が目の前に拡がる。
(丘に続く糸杉の道)
モンティキエッロなどの小さな村々を辿り、オルチャ川に沿って伸びる丘陵地帯のオルチャ渓谷を走り、ローマ時代の温泉保養地であるバーミョ・ヴィニョーニに着く。12時を過ぎていた。旧街中やローマ時代の浴場跡を歩いた後近くの町に足を伸ばして昼食を摂った。長期滞在向けのレジデンスの広告が沢山有ったのでバカンスの時期には賑わう町のようだ。今は出歩く人も少なく静かな町だが、街並みはすごく綺麗な所であった。
バールは昼食時で結構混んでいた。入っているのがご飯かパンの違いはあったが、青野菜の入った「おじや」みたいな料理が美味しかった。
(バーニョ・ヴィミョーニの町。今は使われていない温泉プール)
オルチャ渓谷は自然遺産ではなく文化遺産だ。元々海底が隆起して出来たこの土地は塩分が多く耕地には適さない。それを何世代にも亙って改良し耕地として来た歴史とその風景を壊さずに残してきたことが評価された世界遺産だ。今でもその努力は続いているのだそうだ。広大な耕地の間の所々に不毛の地を思わせる部分が露出しているのが見えた。
(今も不毛の地との闘いは続く)
走っても走っても広大な耕作地が拡がる。羊の群れ、乗馬用だろうか白馬が草を食んでいる。丘の上の寺院、カメラマンが2,3人遠くからブドう畑の縞模様越しにこの寺院を狙っていた。私達はその中間の私道に入って狙ってみたが、手前の林が邪魔をして縞模様を活かすことが出来なかった。わざわざ望遠で遠めに狙っている理由が現場に立ってみて分かった。
(西日を浴びる丘の上の寺院)
陽も大分傾き光がどんどん弱くなってきた。今日は昨日のような夕焼けにはならないようだ。夕方5時を過ぎ暗くなってから長い長いドライブも終わりアグリに入った。
7時半、アグリの母屋でご家族と一緒にルチアさんの手料理を戴く。美味しい。ニコル君はTVのドラゴン・ボールに夢中。ダニエルさんを中心に話がはずむ。
星が覗いていた空も夜半から雨になって3日目は雨の朝となった。
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