お盆の暑さが 来た~
何日かの凌ぎやすい日の後は暑~い夏が戻ってきました。お盆の時期って決まって蒸し暑い日が続きます。ここ10年近くの夏の帰省は、汗だくになりながら親がお世話になった方の新盆の家を廻るのが恒例になってます。丁度そんな年回りに自分がなったということでしょうか。
土砂降りの夕立の中を町並みがすっかり変わってしまって目的の家を探しあぐねてウロウロすることもありました。
一昨日の夕べはきれいな夕焼けとなりました。西窓から差し込む光に誘われて近くの野辺に出てみました。
今日は、朝の内は夏空が広がっていましたが、ブログを書き出す頃に遠くで鳴っていた雷鳴がだんだんと近づいてきました。西空は明るいのに上空は真っ黒な雲で覆われてきました。
そして吹く風が少し涼しく感じられます。湿度は相変わらずで、じっとりとした涼しさで変な感じです。
庭ではミンミン蝉がうるさく鳴いています。以前に今年は蝉が少ないと書きましたが数日遅れてやってきて今では何ともうるさい位です。
時々ザ~っと蝉の留る柿木を揺らして強い風が吹き込んできますが雨は降ってきません。雷雲のコースがちょっとだけずれているようです。
昨日は国会前まで行ってきました。夕焼けに染まる議事堂と群集を撮ろうと思ってカメラを持参しましたが、機動隊の規制や群集で身動きがとれず叶いませんでした。こういう場面ではコンデジが欲しいですね。
官邸前デモに関して、こんな記事を紹介されました。
藤原 ほんとにそうなんだ。農耕民族は非常にマゾヒスティックなのね。だから、この意識を変えないと。これが、ある意味で日本人の1つの、非常に基本的な精神構造だよね。これがすべてを悪くしているんだ。個人がどうしても自立できない。
ところが、今回、官邸前のあのデモをみたときに、そこに個人がいるわけだよね。それが仮に2万人であろうと3万人であろうと、そういう人たちがいたというのは、これまでの日本人から少し脱却しているなと思ったの。今井 つまり、何年、何十年という話じゃなくて、日本というクニができてからの国民性、民族性の変化の萌芽みたいなものが出ているというわけですね。
藤原 そうそう。僕はそれを感じたなぁ。
それでね、そこまで殴られ、殴られ続けている間に、たまたまネットという別のメディアが出てきたわけです。ネットの文化性というのはいろいろあるんだけど、それをつぶさに検証することによって、真実をつかみとるっていうことがあるでしょう。ツイッターやフェースブックで、官邸前デモがわーっと広がったのは、そのネット世界の中に1つのパラダイムができ始めたということです。
ネット世界のバーチャルなものがリアリティに向かわないと、オンがオフにならないと意味がない。ネットはネットの中だけでは完成しない。だから、オンとオフが合体して、初めてそこにネット世界の完成形に至るわけで、その事件が今、起きている。そういう意味で、世界を変えるとか、変えないとか、原発を稼動させるとか、させないとかいうことを超えて、大きなイベント、新しい空気を生み出しつつあると思っています。
自立、自立と言われて何十年。そして最近の子供の「いじめ」を透かして見えてくる大人社会の逆進性。日本の農耕民族らしい文化を残しながら、評価しながらの個人の自立が出来上がるには後何十年、何百年と掛かるんでは、と私には思えます(年をとると兎角短気になってきて困ります)。
しかし、このデモには気軽な参加とは裏腹に確かに個人、個人の思いがこもっているのは確かでしょう。機動隊の方々とは道案内してもらったり、お互いにご苦労さんの声を掛け合ったりで、昔のデモとは様変わりです。立場立場で個人の意思表明が出来て、組織ではなく個人の意思が反映される社会を目指しての一里塚になるといいですね。
う~ん
PS)2012.08.12 「いじめ」は以下に詳しい。
私の見るところ、「いじめ」というのは教育の失敗ではなく、むしろ教育の成果です。
子供が大人になることを、この社会では誰も求めていないのです。
う~む
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