2012年8月19日 (日曜日)

昨日は浅草へ

東京スカイツリー輝くスカイツリー 2012.08.18撮影

昨日は暑い中浅草まで出かけました。福島第一原発事故で梨園が放射能汚染の被害を受けながらも再生に向けて日々奮闘されている福島市の阿部一子さんの葛藤と取り組みの生のお話を伺う機会が設けられたからです。

お話を伺った後隅田川河畔に出て夕日が落ちるに従って変化する東京スカイツリーの姿を撮影してきました。

東京スカイツリー遊覧船とスカイツリー 2012.08.18撮影

農作業中に発生した地震については初め何が起こったのか分らなかったそうです。電気、電話、水道、ガスが止まり、電池式のラジオが唯一の情報源で原発が大変な事になってることを知ったのは電気が復旧してテレビが見られるようになった13日だそうです。その頃には既に南相馬市に住む一子さんのご両親やご親戚が地震・津波で避難して来られたそうです。その後ご両親は年だからと南相馬に戻られ、一子さんは避難区域となっている飯館村を通ってご両親の元に通われているそうです。

梨園を続けられるかどうか大変な悩みと葛藤がありましたがご主人の思いもあって続けることを決断し再生のための奮闘の日々が今日も続いています。阿部さんの場合、従来から産直で予約を募り梨を直送していたのだそうです。2011年の生産物については、実への放射能の移行は少ないとはいえ、実を何箇所もの測定所に持ち込み測定された数値を明示した上で予約を募ると何と例年と同じ数量の1200箱を出荷できたそうです。農協経由分も例年通りの数量が出荷できたそうですが、こちらは半値近くまで値切られたそうです。生産者と消費者の信頼関係は絶大な力を持っているんですね。そして信頼関係による商取引はポスト・マネー資本主義での合理的な一つの取引方法となるでしょう。(グローバリズム経済の非合理性と市場を介しない合理的な商取引については「市場からの撤退:内田樹の研究室」に詳しい)

東京スカイツリー日が落ちて 2012.08.18撮影

今年の生産に向けて400本の梨の木全てについて汚染された皮を剥ぐ大変な作業を行ったんだそうです。(詳しくは「毎日平和でくらしたい」をご覧ください)
一本当たり2時間以上掛かる作業で冬の雪が積もる中2月まで掛かったそうです。剪定した小枝、剥いだ皮、そして地震で剥がれて葺き替えた屋根瓦の漆喰の土、いづれも放射能に汚染されたものですが、その処分方法が決まらず畑の隅にビニールで覆って山積み状態だそうです。被災瓦礫だけでなく、農業者にとっては命となる土地の再生で剥がした汚染表土の処分法も決まっていませんし、損害賠償もちっとも進んでいないようです。倒産企業の救済や、最終的には日本企業の収入となるODA海外支援などはトントンと進むのに比べると震災復興の足取りは余りにも遅すぎます。阿部さんのお話の中にも「分らない」がたくさん出て来ました。それでも消費者に安全を届けるために自分でやれることはやりたいと必死に頑張っていることが伝わってきました。

関東大震災や東京大空襲を生き延びた土蔵を改装した小さな会場Gallery efで聞く、阿部一子さんの笑顔と訥々と語られる言葉には人間の持つ大きな力を感じました。

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