梅雨の晴れ間 爽快な朝
自治会の一斉清掃日ということで起き掛けに家の前の道路や側溝のゴミや枯れ葉を取り除きました。梅雨時とあってアスハルトの割れ目や側溝の穴からは雑草が逞しく茎を伸ばしていました。
永い間降り続いた雨が止んでここ数日は梅雨の晴れ間が広がっています。朝の内は気温も湿度も余りあがらず清々しい感じもします。庭のアジサイも随分と色づいてきました。
金曜日の午後はギラギラの暑い最中に東京まで出掛けて琉球朝日放送の製作した「標的の村」の映画を見て製作した監督の講演を聞いてきました。映画は普天間へのオスプレイの配備と東村・高江での訓練に反対し米軍基地ゲートを封鎖する実力行使に出た沖縄県民それも多くは老人たちの止むに止まれぬ絶望的にも思える姿を描いています。沖縄民謡を歌いながら座り込む人たち、それを命により排除する同じ県民の機動隊、それを金網越しに見る何の因果か遥々日本まで派遣された米兵たち。結局は次々とオスプレイは普天間基地に着陸し騒音をまき散らして高江での訓練は行われています。陽気な沖縄民謡が物悲しく腹の底から絞り出すように響いてきます。
沖縄で起こっていることがほとんど報道されない本土。首長レベルの動きは報道されても県民の苦悩や動きは全くといっていいほど本土では報道されていません。国内の映画祭で多くの賞を得たこの映画の原型は報道番組でしたが、同じ系列の親局では現地の要請を無視して全く取り上げることをしませんでした。だから映画にして自主上映にせざるを得なかった三上智恵監督(本来は琉球朝日放送のキャスター/アナウンサー)の苦悩は深そうです。講演の中で監督は先の沖縄戦と戦後の基地問題に併せて「特定秘密保護法」についても話をされていました。メディアの自主規制は遠の昔に始まっているわけで、この法案で更に深刻な事態となるのでしょう。それが今の日本のメディアの現実であり、時の権力に流されるメディアの実情(本来権力のチェック機能である筈のメディアですがこれではメディアとは言えない)は福島原発事故の報道などにも表れているように思います。
上映は東京のとある有名大学の講堂で行われたものです。今回は映画の後篇の上演でした。前篇の上演時の学生のアンケートが紹介されましたが、何とも大人?の回答。安保世代の私からすると今の学生って随分と”老成”してるって感じです。これも文部省教育の成果であり、我々世代も関わった社会の産物でもあるのでしょう。何とも権力に対して物わかりのいいお利口さん達って感じがしました。そうしないと生きられない時代であるなら、もう日本は実質戦時下ってことでしょうか。
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