もやもやは続く
切っても切っても芽を出してくる竹。この時期は特に生命力旺盛です。大元を切ってからもう十年以上も経つのに依然として芽を出してくる困りものですが、芽生えた笹を覗くと美しい造形を見ることができます。
先月に録画したNHK『戦後史証言プロジェクト 日本人は何をめざしてきたのか 2014年度「知の巨人たち」』の第3回と第4回を見終えた。第3回は「民主主義を求めて~丸山眞男~」、第4回は「二十二歳の自分への手紙~司馬遼太郎~」だった。第1回 「原子力 科学者は発言する~湯川秀樹と武谷三男~」と第2回 「ひとびとの哲学を見つめて~鶴見俊輔と「思想の科学」~」は放送を知らずに録画できなかった。
終戦後、地方に出掛けて寺子屋のような形で民主主義を広めた丸山眞男。自律した個人の確立と、他者を認め合う「他者感覚」の重要性を訴え、民主主義を「永久革命」とした。アメリカも日本も意見の二極化が進み、世界では紛争が絶えない。個人は企業や団体などの組織に埋没し、他人の実情や意見に無感覚になっているように見える現状は人類史上で後退しているようにも思える。効率とマネーに圧倒され、長い時間を必要とする民主的な手続きは無視される。それでなくても先の見えてきた人間(老若を問わず)は先を急ぎたくなる悪弊を持つ。自戒、自戒! 個々人の意識・哲学に依拠する民主主義はやっぱり「永久革命」ということになりますね。人間にそんな時が訪れるのかという疑問は残りますが、人類の目指すべき方向として間違ってはいないでしょう。
「街道をゆく」全43巻を面白く読みファンとなったが、代表作の「竜馬がゆく」や「坂の上の雲」などの小説は読んだことがありません。司馬遼太郎の取り上げる幕末や明治の人たち、そして明治維新がどうにも人類史に逆行してるように思えてならない、と勝手に思い込んでいます。特にアメリカを見聞きしてきた竜馬がなぜ共和制を志向しなかったのか、明治の流れが結局は悲惨な終戦につながったのではないか、との疑問は捨てられません。NHKでの「坂の上の雲」のドラマ化にはいろいろ経緯はあった(本人はドラマ化を拒否してた)ようですが、2年がかりで放送された大作も見終った感想は特に感動は覚えなかった、でした。(サラ・ブライトマンの主題歌は今でも偶に聞いていますが)
今回の番組で、終戦を迎えた22歳の司馬遼太郎が、“どうして日本人はこんなに馬鹿になったんだろう”と考えたことが幕末、明治を辿る原点であることを知りました。在日韓国人との親交を深め日本人の中にある朝鮮の影響の大きさを思い、アジアとの共生を志向した思いは、孫文や周恩来などを受け入れた先人に通じるものがあるように思いました。
丸山眞男が「無責任の体系」と批判した日本の政治体系。国民の支えもあって町工場から世界で競争できるようになった企業もまた「無責任の体系」に加わり、いや政治を動かすようになって、いつかまた“どうして日本人はこんなに馬鹿になったんだろう”と嘆く時が来るのかも知れません。
PS) NHK 戦後史証言アーカイブス 日本人は何をめざしてきたのか 2013年度分が公開されています。
- 2013年度「地方から見た戦後」
- 第1回 沖縄~"焦土の島"から"基地の島"へ
- 第2回 水俣 戦後復興から公害へ
- 第3回 釧路湿原・鶴居村 ~開拓の村から国立公園へ~
- 第5回 福島・浜通り 原発と生きた町
- 第6回 三陸・田老 大津波と"万里の長城"
- 2014年度「知の巨人たち」(未公開)
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