2014年9月11日 (木曜日)

稲刈り始まる

稲田空を映す田 2014.09.09撮影

朝から雷が鳴ってます。雨が強く降ったり弱くなったりで暗~く肌寒いです。日本のあちこちで「特別警報」とやらが出て都市部の道路が冠水しています。「今までに経験したことのない、、、」「20年に一度の、、、」と表現される新語「特別警報」ですが、近未来には日常茶飯事の自然現象になるのでしょうからこの表現はどうなんでしょう?

家の周りの田んぼでは稲刈りが始まっています。と言っても稲刈りの現場を見ることなくいつの間にかに終わって裸の田んぼに変わっているのですが。

ニラ 稲田後にはニラの花が満開 2014.09.09撮影

刈り入れの終わった田んぼの畦ではニラの花が満開になってました。
最近の稲刈りはトラクターでダダ~っと何本もの畝を一気に刈り取ってしまいます。1ヘクタール程の田んぼはアっという間に終わってしまいます。多くの人が出て稲を刈る風景は山間の狭い棚田にでも行かないと見ることができなくなりました。

稲田 稲穂刈り入れ前 2014.09.09撮影

天日干しした後の脱穀風景を見ることも無くなりました。稲刈りと同時に脱穀と稲わらの細断まで機械で行ってしまいます。郷愁を誘う「稲掛け」の風景や稲わらの埃を巻き上げての脱穀風景は昔懐かしい風景となりました。

オシロイバナ畦に咲くオシロイバナ 2014.09.09撮影

親戚中が集まって行う稲刈り、足踏みの脱穀機、けたたましい音を立てるジーゼル・エンジンとそれに長いベルトでつないで回す脱穀機、、、子供の頃に見た光景や人の集まりを見ることは無くなりました。子供ながらに感じた辛い農作業から解放されたのは良いことですが、人の集まりが無くなったのには寂しさもあります。

農業の近代化と産業構造の変化に伴い農業からサラリーマンへと人口が大きく移動しました。1955年に4割を超えていた農林漁業の第1次産業人口が2005年には5%を割り2010年の国勢調査では4.2%となりました。その中で国民の意識も徐々に変わり、最近の官民あげてのグローバリズム政策では助け合いより自己責任へと国の在り方(終には国民一人一人の在り方)に転換を求められるようになっています。

官僚も政治家も学者も全員が「株式会社に準拠して社会制度を論じる」ようになってきた。だから市場のニーズに即応してあらゆる制度は朝令暮改的に変化すべきだという話になる。橋下徹大阪市長が、地方自治体について「民間ではあり得ない」と言ったのは「自治体は株式会社ではない」ということを指摘したわけで事実認知的には当たり前のことなのですが、「だから自治体を株式会社のように制度改革しなければならない」という結論を導くのは論理的に間違っている。でも、そのことを誰も指摘しなかった。その流れの中で、医療も学校教育もどれも株式会社のように組織化されなければならないという話に今はなっている。これは一種の集団的な狂気です。

のような大変な勘違いも起きています。目的が利益追求のトップダウンの民主主義の成り立たない会社制度と共生を目指す社会制度がゴッチャに論じられているような、そして大多数を占める会社員が自らどっぷりとそれに浸かってしまった現状には危ういものがあります。企業活動による自然破壊と食物破壊、そして将来が見通せない不安から来る社会の不安定さがもたらす影響は計り知れません。

PS)2014.09.12 一部文章の手直しをしました。

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