保養地千葉の名残りを訪ねて
テレビで紹介されたのを見て、『近くにこんな所が在るんだ~』と千葉市稲毛区に現存する古い建築物、「旧神谷伝兵衛稲毛別邸」と「愛新覚羅溥傑仮寓」を訪ねてみた。
どちらの建物も国道14号線沿いに在り、稲毛の浅間神社を挟んで直ぐの所に在りました。
小学生だった頃にはるばる栃木県から潮干狩りに来た記憶では、国道14号線を挟んで東京湾側は直ぐに遠浅の海だったように覚えています。国道からちょっとの所に建つ浅間神社の一の鳥居は浅瀬の中に立っていたとのことですので私の記憶は間違ってはいないようです。現在は何キロにも亙って海は埋め立てられて住宅地と化して海は見えませんが、大正、昭和の初めまでは直ぐ近くに海があり、海越しに富士山が見え、山側は松林の続く風光明媚な所で文人墨客の保養地、別荘地となっていたようです。
写真は松越しに見る外観は洋風の建物「旧神谷伝兵衛稲毛別邸」です。
この建物は「デンキブラン」で有名な浅草の「神谷バー」のオーナーであった神谷伝兵衛氏の稲毛の別邸です。外観は洋風、1階は暖炉のある洋室となっており、洋風のらせん階段を昇った2階は贅を凝らした純和風の建物でした。台所が無いので生活の場としてではなくあくまでも遊びの場だったのでしょう。
2階の和風の部屋は当時の大工さんの技術を駆使した素晴らしいものです。「日本のワイン王」と呼ばれた氏らしく、床柱は太いブドウの木で、あちこちにブドウの形の造作物がちりばめられています。
こちらは清朝最後の皇帝「溥儀」の弟「溥傑」が新婚の半年ばかりを過ごした純和風の家です。玄関を入るとL字型に部屋が配置されていて奥には洋室が一つ在りました。また、敷地の奥には離れも在りました。
浅間神社の二の鳥居の左の道を入って直ぐ、浅間神社の参道に沿った位置の高台に建ってます。内部は外見以上に広く洋間1つと和室が4つも在り新婚さんには広い家です。東京の水飴屋「笹屋」の鈴木家所有の別荘だったようで落ち着きのある日本建築でした。
京都は勿論として日本各地には昔の商人たちの残した当時の大工さんをはじめとする技術者の技術の粋を駆使した、贅を尽くした建築物が残っているものですね~。個人の贅沢が日本文化の継承に繋がっていた感じがします。グローバリズムが浸透した現在の日本で年収ン億と言われる経営者もどんどん無駄をして贅をつくして日本文化の継承をするその心意気、是非見習って欲しいものです。(笑)
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