あれから14年
松本サリン事件から14年も経った。神がかりとなった宗教の恐ろしさを見せ付けた事件であったが、警察の誤認逮捕、マスコミの持つ問題点をも併せて明るみに出した事件だった。
河野澄子さんのご冥福を心よりお祈り申し上げます。と同時に義行氏の蒙ったご苦労や冷静で真摯な対応、社会への警鐘が忘れ去られることの無いようメディアの再考を望みます。
1994年6月に起きた松本サリン事件の第1通報者、河野義行さん(58)(長野県松本市北深志)の妻で、サリン中毒の後遺症で意識不明の状態が続いていた澄子さんが5日午前3時4分、長野県松本市の松本協立病院で亡くなった。 60歳だった。
午前6時半、レースのついたピンクのパジャマに身を包んだ澄子さんの遺体は義行さんに付き添われて、松本市内の病院から同市北深志の自宅に到着した。「やっと帰れたね。わが家だよ」と義行さん。部屋に入ると、バッハの「ロ短調ミサ曲」のCDをかけた。澄子さんを送る時に流す曲と決めていた。 東京から駆けつけた長男(29)は義行さんに「ありがとう」と言い、長女(30)は澄子さんの死に顔に「今にも目を開きそう」と驚いたという。