2008年10月30日 (木曜日)
2008年10月24日 (金曜日)
ヘルニア再発
2008年9月29日 (月曜日)
観音沼と「めでたい話」
2008年8月 9日 (土曜日)
一転してバラマキ
庶民には何のおこぼれも無かった戦後最長の景気が陰りを見せてきた。小泉改革も道中半だというのに、福田改造内閣は総選挙向けにバラマキに転じるようだ。公明党幹部も「バラマキをやるんだ」と息巻いているようだし、「上げ潮派」を外した自民党もその勢いが増しているという。庶民に犠牲を強いた小泉改革は一体何だったのだろう。
知床という大観光地を間近にしながら、「観光客の誘致は行いません」と北海道清里町の橋場博町長は静かに語り始めた。無節操な観光客誘致作戦に汲々としている向きの胸に、ぐさりと刺さる矢のような言葉ではないか。 かといって、観光業を軽視しているわけではない。ほかに大事あってのこと。それこそが、農業である。 この清里町は、前回まで紹介してきたお隣の小清水町と同様に、揺るぎない農業国なのだ。
2008年8月 6日 (水曜日)
あれから14年
松本サリン事件から14年も経った。神がかりとなった宗教の恐ろしさを見せ付けた事件であったが、警察の誤認逮捕、マスコミの持つ問題点をも併せて明るみに出した事件だった。
河野澄子さんのご冥福を心よりお祈り申し上げます。と同時に義行氏の蒙ったご苦労や冷静で真摯な対応、社会への警鐘が忘れ去られることの無いようメディアの再考を望みます。
1994年6月に起きた松本サリン事件の第1通報者、河野義行さん(58)(長野県松本市北深志)の妻で、サリン中毒の後遺症で意識不明の状態が続いていた澄子さんが5日午前3時4分、長野県松本市の松本協立病院で亡くなった。 60歳だった。
午前6時半、レースのついたピンクのパジャマに身を包んだ澄子さんの遺体は義行さんに付き添われて、松本市内の病院から同市北深志の自宅に到着した。「やっと帰れたね。わが家だよ」と義行さん。部屋に入ると、バッハの「ロ短調ミサ曲」のCDをかけた。澄子さんを送る時に流す曲と決めていた。 東京から駆けつけた長男(29)は義行さんに「ありがとう」と言い、長女(30)は澄子さんの死に顔に「今にも目を開きそう」と驚いたという。
2008年6月 7日 (土曜日)
2008年6月 5日 (木曜日)
そうだろうか???
理念の無さ、現場の力。。。そうでしょう。でも、金儲けの手段としての環境対策、ルール作りが人々に幸せをもたらすのだろうか???
「入社して最初の10年は泥のように働いてもらう」。情報処理機構(IPA)が主催したIT業界の幹部と学生の対話集会で、こんな発言が飛び出して学生らは唖然としたようです。そして多くの批判を集めています
情報処理推進機構(IPA)の理事長で元NEC社長の西垣浩司氏(68)が29日午前、都内文京区の路上で亡くなった。警視庁駒込署の調べでは、「降っていた雨で不注意にも体を濡らしてしまった」ことが死因と見られる。
昨年、情報処理推進機構(IPA)が開催したIT業界の重鎮と現役学生による討論会で、学生の持つIT業界への「ネガティブイメージ」が明らかにされたのは記憶に新しい。5月28日、IPAが開催したイベント「IPAX2008」で、再び経営者と学生の討論会が行われた。
2008年6月 3日 (火曜日)
今日も雨
2008年6月 2日 (月曜日)
2008年5月13日 (火曜日)
爆笑問題「太田総理」
暑い日が続いたと思ったら、ここ数日は寒い雨の日が続く。花冷えの季節なんてとうに過ぎてるのに。
この顔、テレビで見ない日はない。お笑いコンビ「爆笑問題」の太田光さん(42)である。しかもいつの間にやら総理大臣! ところが、デビュー20周年を記念したコラム集「爆笑問題集」(東京ニュース通信社)を読んだら、テレビと違う、もうひとりの太田総理がいた。